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江戸に学ぶ

Photo 9日の土曜日、第4回各務原シティカレッジ特別講演会に行ってきました。

講演が始まるころには、天気予報通り雪が降っていました。原っぱは雪で真っ白でしたが、続々と講演を聴きに人が集まってきます。私は、帰路の道路事情が心配だったのですが、講演を聴くことにしました。

今回の講師は、江戸東京博物館館長 竹内 誠さんです。「江戸に学ぶー豊かな知恵とあふれるユーモア」と題して、講演されました。

最初に、モース「日本その日その日」・フォーチュン「幕末日本探訪記」・「シーボルト日記」・「シュリーマン旅行記」などを取り上げて、その中に書かれている江戸に触れてはなされました。

花開く江戸文化ということで、江戸の人々が1人で幾つものペンネームを持って豊かな暮らしをしていたと紹介されました。例えば、有名な山東京伝は、本名は岩瀬醒、絵師としては北尾政演、狂歌師としては身軽織輔などというようにいくつもの名前を使い分けていた。ペンネームを持つことによって、武士が町人にそのときはなれると。
 江戸の粋は、節度を守ること。人の心の中に土足で入らない。他人を不愉快にしてはいけない。今は、他者がない!車内での化粧など。
 江戸時代、お互い様の生活。これは、他を前提にした生活。今は、どうかな?

判じ大小暦として、江戸時代の暦の見方を紹介されました。今と違って太陰暦だったので閏年が2年半で1回あった。紹介された暦は、日にちは印刷されて無く、ただ大の月と小の月の区別が書いてあるだけで、それだけでは味気ないので「判じ大小暦」にして作ってありました。説明されて、どこに大の月が書いてあるのか判りました。洒落た暦です。

 暦の話の中で、明治5年12月3日で太陰暦から太陽暦に切り替わったので、明治12年は12月4日以降は無いという。12月4日は明治6年1月1日。講師の方は、これを使ってサスペンスが書けないかなぁって言っていました。

 江戸時代、名字を許されていたのは武士だけだと学校で習ったけど、講師の方が言われるには、農民も名字を持っていたと。公文書には、名前しか書くことが出来なかった。功績があって、名字帯刀を許されると役所に出す公文書に名字が書けたということだそうです。例外として、名字を忘れた人が明治時代になって名字をつけたと。これを聞いたとき、「へぇ~。 変わった名字の多い地域は、如何なんだろう? 皆忘れた?」なんて疑問も持った私でした。残念ながら、時間が延びたので質問等は出来ませんでした。

 楽しい時間を過ごしたあとは、大変な時間となりました。
 自宅のほうは、雪がスゴイと連絡が入り、どの道を通って帰ろうかと考えたが、車が多く走る道だから大丈夫と、通常の道を帰ることにしました。この道は、冬になると、「降雪・凍結注意。冬用のタイヤまたは、チェーンを用意してください。ノーマルタイヤの車は、迂回してください」という看板が立つ坂を通ります。
 坂の近くまで来たとき、ノロノロと車が動いていたので大丈夫と突っ込んだら、途中でストップ。登坂車線には、車が3台。トラックはチェーンをつけ始めている。一寸づつ、動いたり停まったりを繰り返しながら、8割がた登ったところで前のワゴン車のブレーキランプが点いたり消えたり。私がイライラし始めたとき、ワゴン車は登坂車線に。ワゴン車の前の乗用車が動けなくなっていたのです。私も乗用車を避けて登ろうとしたとき、ようやく動きました。ノロノロと上がって行きました。降りは、当然ノロノロ。カーブでのブレーキに気を配りながら車を運転。坂を登っている時「対向車線の車が少ないなぁ」と思っていたんです。それもそのはず。坂の登り始めのところで、何台も車が彼方此方を向いて停まっています。この車を避け、下ってくる車を避けてくるので対向車線は少なかったのです。

 私の前の車は、どうやらノーマルタイヤだったようで、坂を下りてしまってからも時速20キロで走っていました。私としては、とても安全運転が出来嬉しかったですが。

 冬はやっぱり、冬用のタイヤ着用で走って欲しいと思います。雪の坂道は、車を、自分の運転技術を過信しないで、安全第一で。

  

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